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車椅子バスケットボール
原田翔平選手バカラパシフィック株式会社

車椅子バスケットボール 原田翔平選手|就職事例 | 障害者アスリートのための求人・就職・雇用支援(株)つなひろワールド車椅子バスケットボール原田翔平、
唯一無二のシューターになるために踏み出した一歩。

プロフィール

車椅子バスケットボール 原田翔平選手
バカラパシフィック株式会社

1990年生まれ。11歳でバスケットボールを始め、高校入学時に地元・埼玉から福島にスポーツ留学。疾患を機に地元に戻り、車椅子バスケットボールに出会う。強豪・埼玉ライオンズに所属し、日本一を目指す。2015年3月の車椅子バスケットボール全国選抜大会で優勝。2014年のhigh8で個人賞受賞。2014年から日本代表強化指定選手。
車椅子バスケットボールプレーヤーの原田翔平は、クラブチームで日本一になるため車椅子バスケットボールに熱中している。大学卒業後、職業訓練校を経てバカラパシフィックに就職。アスリートとして競技中心の生活を送るようになると、2014年に日本代表チームに初招集され、世界につながる道を切り拓いた。

埼玉ライオンズというクラブチームでプレーする原田は、生粋のバスケットボール選手だ。小学校時代からバスケットボールに打ち込み、高校はバスケ留学。親元から離れて名門・福島工業高校に進んだ。だが、1年のときに疾患を発症し、夢半ばで福島を後にする。その後、療養、リハビリを経て、車いすでできるバスケットボールに出会い、その挑戦をリスタートさせたのだ。

車椅子バスケットボールは、複雑で奥が深い。
「普通のバスケなら誰にも負けないのに、って思うことも正直あります。でも、自分はとにかく得点という形でチームに貢献したいんです」

原田の持ち点は1.0点。障害の種類や程度によって0.5刻みに与えられる持ち点は4.5点〜1.0点まであり、障害が重いほど点数が小さくなる。つまり彼は最も重い“ローポインター"というわけだ。

「(自分より障害の軽い選手と一緒にプレーするため)チェアスキル(車いす操作)やスピードにどうしても差が出てしまう。そもそも自分より強い選手を相手にしなくてはならなくて厳しさも感じるけれど、そこは課題であるフィジカルも磨きながら、対抗できる技術を高めていきたいと思います」

「自分はシューターとして戦っていく」と心に決めている。車いす生活になる前もシューターだった。同じ1.0クラスで原田のようなプレースタイルの選手は稀だ。「車椅子バスケは3ポイントシュートが少ないと思ったんです。3ポイントは試合を追い上げるシーンでカギになるし、もっともっとシュートレンジを広げていきたい」

現在、25歳。昨年から強化指定選手になり、頭角を現しつつある。「周囲を見てもポテンシャルの高い若手が多くいて、2020年の東京パラリンピックはまだ現実味がない」と話すも、「世界の強豪とやり合ってみたいなあ」と闘志をのぞかせる。まずは国内のクラブチームで日本一の栄冠に輝き、その後次なるステージに進むつもりだ。

その原田の活躍を支えるのが、職場環境だ。「人一倍練習することが強くなる近道」と考えた彼は、練習時間を確保しようと、つなひろワールドを通じて就職活動を行った。障害者アスリート雇用でバカラパシフィックに入社。週2回、チーム練習のない日を出勤日にし、オフィスやショップの備品発注、請求書の処理など総務の仕事を担当している。

「自分は新卒で経験もありません。週2回勤務の中で業務を覚えていく苦労がありましたが、先輩方にサポートしていただきながら精一杯こなしています。会社の皆さんと一緒にランチに行くこともあり、社会人としていろいろ教えていただいています」

チームの大会結果や日本代表合宿の報告はメールなどで知らせている。国内最高峰の日本選手権は都内で開催されることもあって「応援に行くよ」と声をかけてくれる人も多い。

「当社の社員として初めての日本選手権となるはずだった前回大会は、入院していて出場できなかった。今年こそという思いは強いです」。その想いをぶつけ、2015年の日本選手権では、見事準優勝を勝ち取った。

(2015年4月取材)

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