役職 | 株式会社つなひろワールド 会長 |
---|---|
顕彰 | アメリカビクトリー賞(1985年) 国連事務総長賞(1990年) 旭日大綬章(2007年)他 |
趣味 | 音楽鑑賞/カラオケ/将棋 |
座右の銘 | 苦しみの中から喜びが生まれる(ベートーベン) 太陽は誰の上にも照らす |
著書 | 負けてたまるか車椅子/わが人生福祉論/車いすから見た日本など |
ホームページ | 八代英太のおもいっきりブログ |
1937年 | 山梨県の農家の三男として生を受ける |
---|---|
1945年 | 敗戦日本、小学校2年生の夏のこと |
1953年 | 高校を卒業後、民間放送の山梨放送に入社する |
1963年 | 25歳の春、大志を抱いて上京し、タレント活動を始める |
1966年 | 見合い結婚をし、二男一女をもうける、その頃はテレビの司会で脚光を浴びる |
1968年 | NTV系列お昼のワイドショウ司会:8年 |
1970年 | ラジオ・ドラマ・など声の出るもの全て・・・だが |
1973年 | 公演先の愛知県刈谷市でステージから転落、脊髄を損傷、以後、車椅子の生活となる |
1974年 | 本格的に障害者運動に入る |
1977年 | 福祉の充実を訴えて参議院選挙に挑戦し、当選する。 |
以来、3期18年参議院議員・衆議院議員として3期10年、計28年間国政で活躍 | |
1980年 | 今後の障害者福祉の在り方として、ノーマライゼーションの理念を国会の代表質問で提言 |
1981年 | 国連障害者年を機に、福祉外交を推進し、障害者の世界組織DPI(インターナショナル)の結成に参加、アジア太平洋の議長を15年務め、アジア・太平洋各国を訪問し障害者の自立を提言 |
1999年 | 郵政大臣に就任し、IT社会の実現に努力 |
2005年 | 郵政民営化反対し、自民党を離党、無所属で立候補したが落選 |
以後、福祉のアドバイザーとしてアジアのみならず世界を行脚 | |
2006年 | 帝京平成大学の教授・山野芸術短期大学客員教授に就任 |
2012年 | 株式会社つなひろワールド会長に就任 |